- 著者: 坪内佑樹(*1), 古川雅大(*1)
- 所属: (*1) 株式会社はてな
- 研究会: Web System Architecture研究会#3
はじめに
ウェブシステムは,一般的に,分散したホスト上で動作するソフトウェアが互いにネットワーク通信することにより構成される. 相互にネットワーク通信するシステムにおいて,システム管理者があるネットワーク内のノードに変更を加えた結果,ノードと通信している他のノードに変更の影響がでることがある. ネットワーク接続数が多いまたはノードが提供するサービスの種類が多くなるほど,システム管理者が個々の通信の依存関係を記憶することは難しくなる. さらに,常時接続しておらず必要なタイミングで一時的に通信するケースでは,あるタイミングの通信状況を記録するだけでは通信の依存関係を把握できない. その結果,システムを変更するときの影響範囲がわからず,変更のたびに依存関係を調査しなければならなくなるという問題がある.
先行手法では,ネットワーク内の各ノード上で動作するiptablesのようなファイアウォールのロギング機構を利用し,TCP/UDPの通信ログをログ集計サーバに転送し,ネットワークトポロジを可視化する研究[1]がある. 次に,tcpdumpのようなパケットキャプチャにより,パケットを収集し,解析することにより,ネットワーク通信の依存関係を解析できる. さらに,sFlowやNetFlowのように,ネットワークスイッチからサンプリングした統計情報を取得するツールもある. また,アプリケーションのログを解析し,依存関係を推定する研究[2]がある. マイクロサービスの文脈において,分散トレーシングは,各サービスが特定のフォーマットのリクエスト単位でのログを出力し,ログを収集することにより,リクエスト単位でのサービス依存関係の解析と性能測定を可能とする[3].
しかし,ファイアウォールのロギング機構とパケットキャプチャには,パケット通信レイテンシにオーバーヘッドが追加されるという課題がある. さらに,サーバ間の依存関係を知るだけであれば,どのリッスンポートに対する接続であるかを知るだけで十分なため,パケット単位や接続単位で接続情報を収集すると,TCPクライアントのエフェメラルポート単位での情報も含まれ,システム管理者が取得する情報が冗長となる. 分散トレーシングには,アプリケーションの変更が必要となる課題がある.
そこで,本研究では,TCP接続に着目し,アプリケーションに変更を加えることなく,アプリケーション性能への影響が小さい手法により,ネットワーク通信の依存関係を追跡可能なシステムを提案する. 本システムは,TCP接続情報を各サーバ上のエージェントが定期的に収集し,収集した結果を接続管理データベースに保存し,システム管理者がデータベースを参照し,TCP通信の依存関係を可視化する. まず,パケット通信やアプリケーション処理に割り込まずに,netstatのような手段でOSのTCP通信状況のスナップショットを取得する. 次に,ネットワークグラフのエッジの冗長性を削減するために,TCPポート単位ではなく,リッスンポートごとにTCP接続を集約したホストフロー単位でTCP通信情報を管理する. さらに,ネットワークグラフのノードの冗長性を削減するために,ホスト単位ではなくホストの複製グループ単位で管理する. 最後に,過去の一時的な接続情報を確認できるように,接続管理データベースには時間範囲で依存関係を問い合わせ可能である.
提案システムを実現することにより,システム管理者は,アプリケーションへの変更の必要なく,アプリケーションに影響を与えずに,ネットワーク構成要素を適切に抽象化した単位でネットワーク依存関係を把握できる.
提案手法
システム概要
図1に提案手法の外観図を示す.
提案システムの動作フローを以下に示す.
- 各ホスト上のエージェントが定期的にTCP接続情報を取得する.
- エージェントはCMDB(接続管理データベース)のホストフロー情報を送信する.
- システム管理者はアナライザーを通して,CMDBに格納されたホストフロー情報を取得し,解析された結果を表示する.
これらのフローにより,システム管理者が管理するシステム全体のネットワーク接続情報をリアルタイムに収集し,集中管理できる.
ホストフロー集約
個々のTCP接続情報は,通常<送信元IPアドレス,送信先IPアドレス,送信元ポート,送信先ポート>の4つの値のタプルにより表現する. ホストフローは,送信元ポートまたは送信先ポートのいずれかをリッスンポートとして,同じ送信元IPアドレスとを送信先IPアドレスをもち,同じリッスンポートに対してアクティブオープンしている接続を集約したものを指す. ホストフローの具体例は次のようになる.
Local Address:Port <--> Peer Address:Port Connections 10.0.1.9:many --> 10.0.1.10:3306 22 10.0.1.9:many --> 10.0.1.11:3306 14 10.0.2.10:22 <-- 192.168.10.10:many 1 10.0.1.9:80 <-- 10.0.2.13:many 120 10.0.1.9:80 <-- 10.0.2.14:many 202
接続管理データベース
CMDBは,ノードとホストフローを格納する. ノードは,ユニークなIDをもち,IPアドレスとポートが紐付けられる. ホストフローは,ユニークなID,アクティブオープンかパッシブオープンかのフラグ,送信元ノード,送信先ノードをもつ.
アナライザー
アナライザーがCMDBに対して問い合わせるパターンは次の2つである.
- a) ある特定のノードを指定し,指定したノードからアクティブオープンで接続するノード一覧を取得する
- b) ある特定のノードを指定し,指定したノードがパッシブオープンで接続されるノード一覧を取得する
実装
概要
提案手法を実現するプロトタイプ実装であるmftracerをGitHubに公開している.https://github.com/yuuki/mftracer mftracerの概略図を以下に示す.
+-----------+ | mftracerd |----------+ +-----------+ | INSERT or UPDATE V +-----------+ +------------+ | mftracerd |------> | PostgreSQL | +-----------+ +------------+ ^ | SELECT +-----------+ | | +----------+ | mftracerd |----------+ | <--------- | Mackerel | +-----------+ v +----------+ +--------+ | mftctl | +--------+
ロールと実装の対応表を以下に示す.
ロール名 | 実装名 |
---|---|
agent | mftracerd |
CMDB | PostgreSQL |
analyzer | mftracer |
mftracerでは,予め各ホストをMackerelに登録し,サービス・ロール[4]という単位でグルーピングを設定しておくことにより,mftctlがホスト単位ではなく,サービス・ロール単位でノードを集約し,扱うことができる.
使い方
mftracerの使い方の例を以下に示す.mftracerはmftctlコマンドにより,CMDBに接続し,引数で指定した条件に応じてネットワークグラフを表示する.
$ mftctl --level 2 --dest-ipv4 10.0.0.21 10.0.0.21 └<-- 10.0.0.22:many (connections:30) └<-- 10.0.0.23:many (connections:30) └<-- 10.0.0.24:many (connections:30) └<-- 10.0.0.30:many (connections:1) └<-- 10.0.0.31:many (connections:1) └<-- 10.0.0.25:many (connections:30) ...
$ mftctl --level 2 --dest-service blog --dest-roles redis --dest-roles memcached blog:redis └<-- 10.0.0.22:many (connections:30) └<-- 10.0.0.23:many (connections:30) └<-- 10.0.0.24:many (connections:30) └<-- 10.0.0.30:many (connections:1) └<-- 10.0.0.31:many (connections:1) └<-- 10.0.0.25:many (connections:30) blog:memcached └<-- 10.0.0.23:many (connections:30) └<-- 10.0.0.25:many (connections:30) ...
ホストフロー
プロトタイプでは,netstatとssコマンドで利用されているLinuxのNetlink APIを利用して,TCP接続情報を取得している. TCP接続を集約表示するlstfでNetlinkにより実行速度が1.6倍になった - ゆううきメモ
各接続の方式がアクティブオープンかパッシブオープンかを判定する実装は次のようにになっている.
- Netlink APIによりTCP接続情報を取得する
- LISTENステートの接続のローカルポートのみ抽出
- 1.と2.を突き合わせ,接続先ポートがリッスンポートであればアクティブオープン,それ以外の接続はパッシブオープンと判定する.
CMDBのスキーマ
CBDBのスキーマ定義を以下に示す.
CREATE TYPE flow_direction AS ENUM ('active', 'passive'); CREATE TABLE IF NOT EXISTS nodes ( node_id bigserial NOT NULL PRIMARY KEY, ipv4 inet NOT NULL, port integer NOT NULL CHECK (port >= 0) ); CREATE UNIQUE INDEX IF NOT EXISTS nodes_ipv4_port ON nodes USING btree (ipv4, port); CREATE TABLE IF NOT EXISTS flows ( flow_id bigserial NOT NULL PRIMARY KEY, direction flow_direction NOT NULL, source_node_id bigint NOT NULL REFERENCES nodes (node_id) ON DELETE CASCADE, destination_node_id bigint NOT NULL REFERENCES nodes (node_id) ON DELETE CASCADE, connections integer NOT NULL CHECK (connections > 0), created timestamp NOT NULL DEFAULT CURRENT_TIMESTAMP, updated timestamp NOT NULL DEFAULT CURRENT_TIMESTAMP, UNIQUE (source_node_id, destination_node_id, direction) ); CREATE UNIQUE INDEX IF NOT EXISTS flows_source_dest_direction_idx ON flows USING btree (source_node_id, destination_node_id, direction); CREATE INDEX IF NOT EXISTS flows_dest_source_idx ON flows USING btree (destination_node_id, source_node_id);
nodesテーブルはノード情報を表現し,とflowsテーブルはホストフロー情報を表現する.
実装の課題
- ネットワークトポロジの循環に対する考慮
- クラウド事業者が提供するマネージドサービスを利用している場合,IPアドレスから実体をたどることの困難
- パターンa)の実装
- 時間範囲を指定した依存関係の取得
むすび
システムの複雑化に伴い,システム管理者が個々のネットワーク通信の依存関係を記憶することが難しくなっている. そこで,アプリケーションを変更せずに,アプリケーションに影響を与えることなく,適切な抽象度で情報を取得可能な依存関係解析システムを提案した. 実装では,Go言語で書かれたエージェントがLinuxのNetlink APIを利用し,RDBMSにホストフロー情報を格納し,Go言語で書かれたCLIから依存関係を可視化できた.
今後の課題として,問題の整理,サーベイ,評価がある. 問題の整理では,ネットワークの依存関係といっても,OSI参照モデルにおけるレイヤごとにシステム管理者が必要とする情報は異なるため,最終的にレイヤ4のTCP通信に着目する理由を明らかにする必要がある. サーベイについては,ネットワークの依存関係解析に関する先行研究は多岐に渡るため,調査し、本研究の立ち位置を明確にする必要がある. 評価については,先行手法となるファイアウォールロギングとパケットキャプチャによるレイテンシ増大による影響を定量評価し,提案手法の優位性を示す必要がある. また,実装では,すべての接続情報を取得できるわけではないため,接続情報の取得率を確認し,実運用において,十分な精度であることを確認する必要がある. さらに将来の展望として,同じような通信をしているホストをクラスタリング推定し,システム管理者がより抽象化された情報だけをみて依存関係を把握できるようにしたい. また,コンテナ型仮想化環境での依存関係の解析への発展を考えている.
参考文献
- [1]: John K Clawson, "Service Dependency Analysis via TCP/UDP Port Tracing", Master thesis, Brigham Young University, 2015
- [2]: Jian-Guang LOU, Qiang FU, Yi WANG, Jiang LI, "Mining dependency in distributed systems through unstructured logs analysis", ACM SIGOPS Operating Systems Review, 2010, vol 44, no 1, pp. 91
- [3]: @itkq, "サービスのパフォーマンス数値と依存関係を用いたサービス同士の協調スケール構想", 第1回Web System Architecture研究会, https://gist.github.com/itkq/6fcdaa31e6c50df0250f765be5577b59
- [4]: id:masayoshi, "ミドルウェア実行環境の多様化を考慮したインフラアーキテクチャの一検討", 第2回Web System Architecture研究会,https://masayoshi.hatenablog.jp/entry/2018/05/19/001806
発表スライド
質疑応答
発表時の質疑応答では,次のような議論をしました.
まず,接続が観測されたホストでも実はトラヒックはほとんど流れていなくて接続しているだけで,実際は利用していないホストであったりすることがある。提案手法は(分散トレーシングのようなより小さなリクエスト単位で追跡する手法と比較して)真の依存をみていないのではないか?という質問がありました.議論した結果の回答としては,どちらの手法が真かそうでないかというわけではなく,要件の違いにより,要件を満たす手法がかわってくるという話であると考えています.例えば,先行手法では,直接エンドユーザーへの影響のある接続を詳細に可視化することはできるが,システム管理のための接続(LDAP,SSHなど)を見落とすことがあります.
次に,UDPには対応しないのか?という質問がありました. UDPにはおそらく対応可能で,今の所はTCPのみサポートしています. ネットワーク層以下の依存関係可視化については,数多くの先行研究があります. アプリケーション層についても,ここ数年で多くの手法が提案されています. 一方で,トランスポート層に着目した依存関係の可視化の提案は少ないように思います. そこで,UDPに対応させ,トランスポート層の依存関係を満遍なく分析できる基盤という立ち位置を確保していくといいのではないかという議論をしました.
さらに,1日1回といった頻度で依存関係情報を収集するのではなく,リアルタイムに収集できるため,異常検知などに利用できるのではないかというアイデアもいただきました. あらかじめシステム管理者があるべき依存関係を設定しておき,その設定に反した通信を検知すると異常とみなすといった手法など,新しい監視手法を提案できるかもしれません.
また,Dockerのようなコンテナ環境であればリッスンポートが再起動するたびに変化していくため,ポート単位で追跡する手法は向いていないのではないかという質問もありました. 現在の提案手法では,IPアドレスとポートの組をノードとして扱っており,IPアドレスのほうはロールのようにグルーピングして扱えるようになっています. そこで,接続先のポート集合に名前をつけて管理するような仕組みが必要になってくるのではと考えています. エンドポイントの管理の課題として,他にもVIPのように実態のIPアドレスと異なるエンドポイントを利用することもあるため,仮想的には同じエンドポイントを参照していても,実態としてはエンドポイントが変化している問題を一般化して解くような提案を考えていくのが望ましいでしょう.
その他,エージェントをインストールするだけで使える導入の容易さも重要ではないかという指摘もいただきました.
あとがき
今回のWSA研も前回前々回と同様に,参加者の各種アイデアに対して,みんなで白熱した議論を展開するという流れになりました. みんな話をしたいことが多すぎて,いつも以上に,議論時間が長くなりました. 会場をご提供いただいたレピダムさんに感謝します.9人で議論するのにちょうどよいかつきれいな会議室で快適に過ごすことができました.
WSA研の特徴として,Web技術が主体でありながらも,隣接する技術領域の議論が飛び出してくることが挙げられます. 社内であったり,いつもの勉強会であれば,なんとなく要件が似通っていて,同じようなコンテキストで話をしていることが多いでしょう. 一方で,この研究会では,技術者と研究者が交わり,議論による創発を目指しているため,例えば,メールやIoTのような、いつものWebとは異なる要件をもつシステムに対しても,Webの技術を応用し,議論することにより,共通点や差異を理解し,新たなアイデアがでてくるといった場面があります. 僕自身はWSA研を開催するたびに,モチベーションがあがるということを体感しているため,これからも継続して開催していきたいと考えています.次回は4/13(土)で京都開催の予定です.